春に想うこと

中3の息子が、今朝、高校受験のために家を出ました。
ふだんは「いってらっしゃい」と言っても
「うん」とつぶやいて、さーっと
出て行ってしまうのだけど

今朝は、玄関の外まで見送りにきたわたしに
ふりかえって、「行ってきます!」
と手をふりました。

涙が出てしまいました。
大きくなったなあ、自立したなあ。
靴ひもはまだ結べないけど。



駅まで送っていこうか?と言うと
「脳を働かせたいから、歩いていく」
と。

運動が苦手で部活にはいらず、
「せめて歩け」と言いつづけてウザがられ、
「成績上げたいなら、歩け。脳も身体の一部だ」
と言いつづけて、けむたがられ。

でもそうやって歩いて脳が働くことも
実感として理解したのでしょうか。

もともと頭でっかちで、不器用で
小学校時代は
感情が高ぶると何をするかわからず
まわりにもたくさん迷惑をかけたと思います。

中学校に入るとメンタルをこわし、
中1のときは給食を食べなかった。
(と、中2・3の担任の先生が、年度初めに気づいて教えてくれた)
家でもトイレにこもることが多く
神経性胃腸炎で休むこともしばしば。

中2からの担任の先生や、あたたかい友達に
本当に救われたと思います。
そのなかで、成績も伸びて。
心が大事なのだと、よくわかりました。

つい先日、妹から
「”株”ってなに?」という質問を受けて
驚くほどわかりやすく、順序だてて説明していました。

ほんの少し前まで、
人にわかりやすく説明することができず
理解されないと怒っていたのに。

「友達に勉強おしえてたら、できるようになった」
とのこと。

「育児日記に書いておこう!(0歳からつけている)」
と言ったら
「育ててないじゃん」と言われた 笑。
本当に。

そんな彼は、ギリギリで志望校のランクをひとつ
下げて願書を提出しました。驚いたけど、

「親には一切口出しはさせない」

と言い切ったので、見守ることを
父親と確認し合いました。

ふつうは、力があるのに挑戦しないなんて
臆病だと言われてしまうかもしれないところ。

「自分、ビビりなんで」
と、私じゃない大人に言っていたらしい。

でも、そうやって弱い自分を誰より自分が理解して、
まわりに合わせて無理をするのではなく
できる範囲でベストを尽くし
能力を発揮できる環境を、自分の責任で選びとっていく姿に、

わたし自身が、学ぶところが多くありました。

ワイヤレスイヤホンを耳にして
大きな声で歌いながら勉強したり
けっこう漫画も読んじゃってて
試験がひとつ終わるとひとりで映画みにいっちゃったりして
余裕だな~と。
もちろん図書館でがんばってたけど
そうやってメリハリつけて調整できるところも
すごいなと思いました。

この前まで本当にあれこれ大変だったのに。
すっかり大人になったんだなあ。
育ててくれた周囲の方々、友達、本当にありがとう。

そんな息子に、
親である自分が学ぶ番なのだという気がしています。

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彼の姿をみて、あらためて思いました。
わたし自身が、誰よりもわたしの理解者になって
変化していく身体と心に
伴走してあげたい、と。

今は、手にした幸せもやる気も達成感も、
積み上げてきたひとつひとつの経験も、記憶も、
まるで砂が手から零れ落ちるように
消えてなくなってしまう。

これが更年期障害かと思って、友達の働く病院で
話を聞いてもらい、漢方を処方してもらったら
少し楽になったような気がします。

今日は、
子どもにおにぎりをふたつ持たせることができた。
ワイシャツにアイロンをかけてほつれを直した。
こうして自分に意識を向けて、書くことができた。

ひとつひとつ、確認が必要です。


たとえ次の瞬間なくなってしまう「今」だとしても、
温かく迎え入れられますように。

春。
変化の時を、もうしばらく眺めていたいと思います。

久しぶりにブログをそっと書きました。
読んでくださった方に感謝を。ありがとうございます。


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YogaLantern