こんにちは。
久しぶりに投稿します。
昨日、夕暮れ時の雲がすごく美しかったので
写真を撮ってSNSに投稿する人が多かったらしいですね。
わたしはSNSから離れていて
見てはいないですが、友達が教えてくれました。

引越して、森や畑など自然から離れてしまうことを悲しく思っていたのですが、
今住んでるところの方が、空が美しく感じられます。
雲が近く、遮られるものがなく広々としていて、
毎日のように、空を眺めて暮らしています。

ずっと書きたいことが溢れては消えていき、溢れては消えていき、
わたしの思考や、生きていることそのものが、
何も痕跡を残さずに消えていく雲のようだなと感じることがあります。


雲は水であり、風と光の影響によってその形を変えてゆきます。
時にハッキリとした輪郭を描きながらも、
刻一刻と変わっていき、数分ですら、そこに留まらない存在。
存在ともいえないほどの、はかない存在。

人間も、千年生きる大樹にしてみたら、
雲のような存在なのかもしれません。
雲よりはすこしだけ長い時間、同じような姿をしているけれど、
間もなく形を変え、散っていく存在。
存在ともいえないほどの、はかない存在なのかもしれません。




毎日、毎日、朝起きると、二本の足で歩けることに気づきます。
手で鍋の柄をもち、水をいれた鍋を持てる筋力があることに気づきます。
目で、何かを見ることができることに気づきます。
美しい空や、すくすく成長する愛娘を見られることに気づきます。
耳があって、せせらぎの音や、鳥のさえずりが聞こえることに、
かわいい子どもたちの声を聴けることに、気づきます。
力なくでも、人の耳に届く声が出せ、歌えることに気づきます。
布団の中で眠り、寒ければ暖まることにできる暖房があることに気づきます。
子どもに与える食料があることに気づきます。


当たり前すぎてあることに気づかないものに
マインドフルネスの力で気づく努力をしています。

それでも
呼吸が浅く、苦しくなることもあるから。

そんなとき、
ぐったりするような思考に覆われている
おもだるい身体に気づき、ヨガをします。
「できない」とごねる思考を一時棚上げして、
身体を動かしたときに起こる感覚、呼吸をとおした時の感覚
にだけ心のスポットライトを当て

あと一呼吸だけ、
あと一呼吸だけ、
あと一呼吸だけ、
本当にそれだけ、生きよう、と決めて、
結果を求めずに身体を動かします。

結果や見返りを期待しない行為によって
思いがけず得られるギフトがあるけれど、
ヨガもその一種です。
結果、楽になったり、気分が変わったり、
もしくは今日一日だけ生きる活力が湧いてくる。


ヨガや瞑想(いま、ここにいることの実践・自分を慈しむための実践)は、
わたしにとっては、現実という海を泳ぐために
なくてはならない道具です。

思考にのみこまれてしまったら、溺れてしまうから。

なんでも叶う魔法の杖ではないし、
大海に浮かぶ、たよりない木片みたいなものかもしれない。
それでも、救助船がやってくるまでの間
(もちろん、来ないかもしれない)
あと一呼吸だけ、そこにしがみついていることはできる。

夢をみるように、雲を眺めることはできるけど
自分や自分のものだと信じているものが、
本当にあらゆる局面で、雲(無常)であることを
受け止めることはたやすいことじゃないと思います。

いつか形を変え、消えていく。
あると信じてる、ほとんどのものが。


それが単なる苦しみにならないように、
今を生きる喜びに変えられるように、
ヨガの練習を続けています。