現実って本当に現実なんだろうか。

こんにちは。
ヨガランタンのにしかわまきえです。

今朝は、友達が御代田町のとある場所でやっている
「朝活」
(畑まわりのお仕事)
に参加させてもらい、清々しい一日のはじまりでした。

omogaeike.jpg

美しい景色ですね~^^

池で、魚を飼いたいのだけど、すぐに鳥にやられてしまうから

竹をたてているんですって。

鳥(サギ・鵜・猛禽類ですかね)は上空からみて飛び立ちにくそうな場所には降りて来ないのだとか。

そんなの初めて聞いたし、里山の整備作業ってそんなことも含まれるのかとビックリ。

ちょっと別世界に行ってしまうような良い時間でした。

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…ときどき、考えます。
もしお金が生活に困らないくらい潤沢にあって
なんでも好きなことして
暮らしていいって言われたらどうするかなって。

ついうっかり、「現実」をみて
現実的にはこのくらい働かなくちゃいけないとか
老後という現実を考えると
このくらい貯めておかねばならないとか

そのために働かなくてはならないとか

そういうものの考え方をしてしまうけど

それって本当に「現実」なのだろうか。

現実は、いま、ここ、この瞬間に見ている

この里山の景色がここちよいということ。

将来の不安は頭の中の妄想でしかなく、いまこの手に取れるものでもない。

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この前もクラスで話したことなのですが、

「現実」っていう言葉を聞いたとき、皆さんだったら何を思い浮かべますか?

わたしは、「確定申告」

(笑)

もう少しで〆切だったこともあり。

わたしたちは「現実」というとき、たいてい「夢みたいなこと=役に立たないこと」と反対の意味として

使うことが多いのではないでしょうか。

たとえば、私の例で言えば、こんな晴れた日に確定申告なんてね~と散歩に出かけてしまえば

それは「現実逃避」と呼ばれたりして。

でも、その散歩で見る眩しい新緑は、利益や損失をあらわす数字なんかより、ずっとずっとリアル。生々しい現実なんですけどね。

また、たとえば、勤務時間に間にあわなそうで、車をぶっ飛ばしていたとします。

まずい、時間に間に合わないのは現実的にまずい、とそればかりに気を取られれば

車道にいる大事な命を奪うかもしれない。自分の大切なもの…命を失うかもしれない。

それでハッと気づく、本当の現実は、これだったのだ、と。

「生きていること」が、現実だったのだ、と。

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本当にリアルなのは、いまこの瞬間しかありません。

でもその瞬間にとどまるのが怖かったり、疲れたりするから
ついつい
「一般的には」「将来を考えると」
という方便に逃げているだけなのかもしれないな、
と思ったりもします。

朝活では、去年土の中に埋めたという「炭」を掘り出しました。
お宝のようにざくざく炭が出て来て。

畑にまくために袋につめました。

くりかえし、くりかえし、自分に問いかけています。

わたしよ、本当はどうしたいのか。

真実の自分は、どうしたいのか。

炭を掘ったときの、ザクッとした感覚が手に残る中で書きました。

読んでくださってありがとうございました^^

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