船を見送りながら

たいへんご無沙汰しております。
前回のブログから半年近くあき、そのあいだに
住居・生活スタイル・職場・勤務体制
などが一気に変わりました。

SNSからも完全に遠のいてしまいましたが、
今、ほんの少しだけ立ち止まる時間ができたので
これまでの変化をふりかえりつつ
自分の人生の羅針盤を確認してみようと思い立ちました。

興味のある方だけ、どうぞお付き合いを。


いま、わたしは月に3日ほどを、クリパルヨガのクラスをしています。
水曜と、日曜のどこかで、80分と60分のクラス。

平日は一週間に4日、朝から夕方まで
インクルーシブ教育をこころざす保育園で
保育士として実務にあたり

土曜日は小学校で子どもたちにヨガを教えたり、
保育園の職員会議に出たり


月1回、森のようちえんで「呼吸の時間」という短い時間を
もたせていただき保育にも関わらせてもらっています。

養うべき子どもは、中1男子と、小2女子。
子どもの習い事はバレエ、音楽教室、野外活動。
平日夕方や土曜に送迎の必要あり。

そんなふうに時間を使っています。

いま46歳。(勤務先では17歳と自称、心持ち的にはあながち詐称ではない)

さて、自分はどこに向かっているのだろうか?
問いかけながら生きています。

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自分と「(学び手主体の)教育」の最初の出会いは、
クリパルヨガのWSにありました。

20代・大人になってからの出会いでしたが、
「主体性」を尊重され、
知識を一方的に教えられるのでなく、
自分や仲間の「体験」から学ぶスタイルは、
いま教育界が大きく舵をきって目指そうとしている
アクティブ・ラーニングとか
主体的で対話的な学び
と呼ばれる教育のあり方、そのものでした。

このあり方に救われた自分が、ヨガだけではなく
教育界の時流の方に引き寄せられていったのは
自然な流れだったように思います。

子どもたちに、自分の身体や心を大切にすることを伝えたい。
クリパルヨガのあり方が
当たり前だと感じるようになってほしい。

そんな想いが、すでに先陣を切って走っていらっしゃる
教育者の方々の想いと合流して
今の自分の選択になっているのだと思います。


一方で。

今日、本当にひさしぶりにオンラインで
クリパル・アーユルヴェティック・ヨガのクラスを
受けて

こころから楽しい

を、思い出しました。
そうだ、わたしはヨガが好きだったんだな。
身体の感覚を、
知的に理解するのが楽しかったんだな。


アーユルヴェティック・ヨガはとくに
動きや感覚のすべてに根拠があるので
ピッタ(火+水のエネルギー)
優位で知性を使うのが好きなわたしにとって
快楽でしかありませんでした。

実は、自分自身はわりと

知性的なこと=一般的には小難しくてダメなこと

とジャッジしがち。
これはわかりづらいかもしれませんが。

たとえば、音楽を奏でればみんな無意識にワンネスに導かれていくけど
論理を奏でたところで、分断を生む、みたいな
劣等感がどこかにあるのです。

しかしながら、当然のことながら、
私にとっても、誰にとっても、
「楽しい」は、「楽しい」。

肯定していい。
当たり前だけど、思い出しました。

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アーユルヴェーダでは8:2の法則というのがあるそうです。
たとえばピッタのエネルギー(熱、鋭さ、湿り気など)が高まる夏には
反対の質(冷、ゆとり、乾燥など)を増やして対応するのが
基本原則であるものの、
全部反対の質にはせず、2割くらいには、同質のものをあてる。

働きアリのうち2割は、絶対働かない。
これも8:2の法則のひとつでしょうか。
必ず2割はゆとりがある状態になる。

この8:2の法則でいうと、
今の自分は、ちょっと反対の質を増やし過ぎているのかもしれない。
9:1以上。
そんなことを思いました。


とてもマジメで学習熱心なわたしは、

自分にとって足りないもの
(遊び・音楽・子ども・自然)
を意識的に選びとってきたけれど、
元来得意で、快楽を感じるような知的な作業(読書、書くこと)
を省きすぎているのかもしれません。


限られた時間のなかで、
友人が乗ったたくさんの船が、出航するのをただ、見送ってきました。

あれも関わりたかった。
これもやりたかった。
でも、この「今」のライフステージの中で、
できることは、ほんの一握り。



また忙しい日々が始まるなかで、何を選び取り、何にコミットするのか。
どう生きたいのか。
頭で考えながらも、
どこか、自分を超えたものに流され、
これでいいんだ、と委ねている自分もいます。

ただ、身体だけは大切にしたい。


季節が移り変わっていくなかで
会えなくなった人、会わなくなった人も
たくさんいますが
どうかみんなが幸せでありますように。

ひとりひとりの内にある神なるものに敬意を。
読んでくださって、ありがとうございました。